【どうしたいか、自分へ問う!】


昨日、耳に入った訃報。とある人が亡くなったと。
その人は、会社の十数人の上司のうち、パワハラをしてきた人で、
その人のおかげで、メンタルの病で約1年間ほど、私が休業し、無休生活で、
復職するまでの間、かなり家族に心配をかけたうえ、会社の命令で、
リワークといって、人間関係を学習してきてと半年間ほど勉強班みたいなところへ
通わせられたという屈辱の思いを味わった時期があった。
あのとき、「なんでパワハラをした人が仕事をストップさせないで、
パワハラされた人に勉強させるの?不思議に、憤慨に思ったけど、
今は、あの人の訃報を聞いて、「天罰だ」と思わずに、意外にも感情が平穏でいる。
自分への接し方で、良い方や悪い方と自分なりに判断・評価をつけるけど、
「良い方」も「悪い方」も、人間でいる以上、いずれに去っていくのね。
ときには命の長さと行動の良し悪しとも比例しないケースもあるのでしょう。
自分という身を考えて、どうなるの?思わず考える。

「人生って、良い人のためでも悪い人の自分以外の誰のためのものでもない。
結局自分自身が納得して満足して充実した人生を送れるかどうか」。
自分が実施者であり、評価者でもある。
どうしたいか?自分へ問う。答えがはっきり持ったほうが良い。
今、「お金の減らし方」という森 博嗣さんの本を読んでいる。
まさに、このような本質な質問を刺されているところです。
これから限りのある人生を悔い少なくするには、より充実したものにするには、
はっきりとした自分の答えを整理し、書留め、毎日目に触れるところで持ちたい。

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