余生の過ごし方Series🌸1.【お金より時間を】

今朝、いつものように、出勤前、晩御飯づくりをしたため、
極力に乗りたくなかったタクシーをまた、乗り込んでしまった。
このタクシー代を節約して、投資の元金に当てたらと、
いつものように、自分を責める気持ちが湧いてきて、、、。

でも、すぐ後に、いつもでないような考えも、ふっと思い浮べた。
「私、お金より時間を優先したなぁ。そういう選択の仕方をもあり」と思った。

人生には、みんなそれぞれの価値観で、或いは、考えや行動の癖で、
日々、目前のことについて、選択取捨、優先順位づけをして、判断している。
ときには、判断基準は、お金の節約は一番となる。でも、それは、唯一な判断基準ではない。


むしろ、人生の後半に突入した自分にとっては、【時間の使い方を最大限に有意義なものにする】ことを一番優先順位としたい。なぜならば、命はお金の連続でなく、命は時間の連続によって織り込んで、でき上がるそのものです。

限られた人生の時間の使い方に、計画を立て、無駄を省き、
最大限に有効活用し、目前のその瞬間、一日、一週間、一カ月、一年、、、を有意義で幸せで楽しく納得のできるものにする。
これは、自分に課する余生のミッションだ。

そのなかで、たまにはお金をかけてやる場面があり、たまには、お金をそれほどかからない、或いはまったくかからない場面もある。
そういう意味で、時間の使い方(余生の過ごし方)は目的、お金の使い方は手段だと再認識した。
まだまだ、狭い範囲での認識ですが。🌸

稲盛和夫的人生忠告-1

纠结爱还是不爱时,选择不爱。
犹豫去时还是不去时,选择去。
考虑买还是不买时,选择不买。
犹豫说还是不说时,选择不说。
为难给还是不给时,选择给。
考虑吃还是不吃时,选择不吃。
纠结做还是不做时,选择做。

得意・不得意

 毎日得意で好きなことをちょっと、  

 毎日不得意で好きでないをちょっと、  

 楽しんで取り入れてみる。  

 得意なことをますます得意に、  

 不得意なことをすこしでも得意に。  

<中国語>

每天做一点自己擅长的,喜欢的事情。   

每天做一点自己不擅长的,不喜欢的事情。   

愿意地高兴地去做。   

擅长的事情就更擅长了。   

不擅长的事情也变得有点擅长了。

【家事】

昔、家仕事を何でもしてくれた主人がいたから、私には家事をする必要性も習慣もなかった。 何年前から一人で2人の子供を支えなければいけなくなったときから、家事をせざるを得なかった。 最初、不慣れのときに、「しんどいな」と思ったけど、やっているうちに、いつか好きになり、 習慣化にもなった。 往々にして、頭や気持ちの整理ができていないとき、家事をすることで、 考えるべきことややるべきことをやり始めるきっかけにもなっている。 家事をやっているうちに、見る見ると、スッキリになっていく周りの風景を見て、 私って、やはりすぐに成果を求めるたちかな。それでも良いか。 家事することで、気持ちよくしてくれたら、十分でしょう。

【家务】

以前,因为什么事情都是爱人做掉,对我来讲,既没有做家务的必要,也没有做家务的习惯。 几年前,开始一个人支撑两个孩子的时候,不得不开始做家务。 最初、不习惯,感到好累。做着做着,渐渐地喜欢上做家务了, 且变为了习惯。 往々,在头脑或心情理不清头绪的时候,通过做家事,带动自己 开始想应该想的事,做应该做的事。 做着做着家务,眼看着周围变得非常利落。 有可能自己属于那种急功近利型的人吧。就算是吧. 只要能通过做家务,改善自己的心境,也不过如此。

【軽く・少なく】

朝、ふっと家中を見渡ったら、大した持ち物がないね。 わずかにふとん2枚、フライパン2つ、服何枚か・・・それだけ。 必要最低限な所有物だけでも、生活が成り立つんだ。 軽く、少なく、持ち物も、欲も。 すっきりな感じ。

【轻而少】

早上,猛然环视了一下家中,感到周边的东西不多。 仅仅两床被子,两口平底锅,几件衣服・・・仅此而已。 最小限度的所有物,原来也能过下去。 轻而少,所拥有的东西也罢,欲望也罢。 好轻松的感觉。

【どうしたいか、自分へ問う!】


昨日、耳に入った訃報。とある人が亡くなったと。
その人は、会社の十数人の上司のうち、パワハラをしてきた人で、
その人のおかげで、メンタルの病で約1年間ほど、私が休業し、無休生活で、
復職するまでの間、かなり家族に心配をかけたうえ、会社の命令で、
リワークといって、人間関係を学習してきてと半年間ほど勉強班みたいなところへ
通わせられたという屈辱の思いを味わった時期があった。
あのとき、「なんでパワハラをした人が仕事をストップさせないで、
パワハラされた人に勉強させるの?不思議に、憤慨に思ったけど、
今は、あの人の訃報を聞いて、「天罰だ」と思わずに、意外にも感情が平穏でいる。
自分への接し方で、良い方や悪い方と自分なりに判断・評価をつけるけど、
「良い方」も「悪い方」も、人間でいる以上、いずれに去っていくのね。
ときには命の長さと行動の良し悪しとも比例しないケースもあるのでしょう。
自分という身を考えて、どうなるの?思わず考える。

「人生って、良い人のためでも悪い人の自分以外の誰のためのものでもない。
結局自分自身が納得して満足して充実した人生を送れるかどうか」。
自分が実施者であり、評価者でもある。
どうしたいか?自分へ問う。答えがはっきり持ったほうが良い。
今、「お金の減らし方」という森 博嗣さんの本を読んでいる。
まさに、このような本質な質問を刺されているところです。
これから限りのある人生を悔い少なくするには、より充実したものにするには、
はっきりとした自分の答えを整理し、書留め、毎日目に触れるところで持ちたい。